それぞれのヒメギフチョウ

 仙台近郊のヒメギフチョウ

年毎に個体数の減りつつあった場所だが、今年は特に少ない。
やはり狭い発生域に対しての採集圧が効いているようだ。


 
イメージ 1
 
 
 

ヒメギフチョウは黄と黒の縞模様の差で一頭ごとの判別が容易なので、例年個体識別をしながら見ている。
ここでの成虫の寿命はおよそ10日~2週間ほどで、発生順に入れ替わりながら、4月末まで常時6、7頭ほど飛んでいるというのが昨年までの様子。

それが今年は9日に出た3頭が翌10日にすぐ消え、11~12日に出た2頭が12日の午後に、13~15日に掛けて確認されていた個体も17日までに消滅。
ほぼ全ての個体が発生直後に、飛び古す事も無く消えてしまった。

この場所を見ている区の管理課や地元の方々によると、人の少ない早朝や夕方に採集者が来る事が多いそうだ。
声を掛けると、曖昧に挨拶したり 「花を見に来た」 とか答えるが、落ち枝の整理などしながら遠目に見ていると、しばらく人通りが途絶えたのを見計らってヒメギフチョウを捕まえ始めると言う。
 そうして採集者が来たのと、上のようにチョウが消えてしまうのが毎回同じ日なので、今年だけ特別に新鮮なヒメギフチョウを狙って食べる鳥が現れたなどという事ではなく、発生した順に綺麗な個体から採られているようだ。
 
 個体数が減れば雌雄が出会って交尾する機会も少なくなり、交尾を済ます事が出来たメスも抱えた卵を産み切ることなく採られてしまうため、この一帯のウスバサイシンに産み付けられた卵塊の数も激減してしまった。
 
 あと何年もつか  と昨年は言っていたこの場所のヒメギフチョウだが、一年でこの減りよう。
 もう来年には危ないかもしれない。
 これが杞憂で、来年になって何事も無かったかのようにウジャウジャ飛んでくれたりしたら良いが、どうも楽観し難い気がする。
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 虫を採るのは別に悪い事でもなんでもない。
 ただ、限られた生息域の、最低限これだけ という数で代を重ねてきた虫を捕まえてしまえば、回復力が追いつかずに血筋は耐えてしまう。
 
 仙台近郊には、もっと個体数が多く規模の大きな発生地が他にもまだ残されている。
 地元の人達がここのヒメギフチョウの発生を毎年春の楽しみにし、守ろうとしていると知れば、このごく限られた生息地の小さな集団をわざわざ一頭ずつ網で捕まえてダイレクトに減らさなくとも、少し移動して別の場所で採集を楽しもう という方向に考えが向かうだろうと思うのだけれど。
 
 それでも、ここで会った採集者の方からは 
 「 虫採りそのものよりも、誰かが楽しくしている場を壊すのが楽しい といった性質の人もいるから、表立った保護活動が逆効果という事もある。 」 
 というお話を聞いて、気持ちが暗くなると同時に、もっともだと思わされる事もあった。
 ぼんやりした話だが、なんとか 「 それぞれのヒメギフチョウ 」 が 「 みんなのヒメギフチョウ 」 になるような意思統一がなされないものだろうか。
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
 ここのヒメギフチョウが来期以降に勢いを盛り返してくれるにしても、また地域集団の絶滅という事になるにしても、一愛好家としては結局の所、この場所で何が起きるかを記録し続けるくらいの事しか出来ないのだろうとも思う。
 無力感 というのとは 少し違うのだけど。
 
 ここで毎年会う 近くの小学校の子供に、顔をあわせるなり 「 なんか今年チョウチョいないでしょ?」 と 先に言われて、ただ 「 うーん 」 とだけ返す。
 この時の気持ちというのは、なかなか言い表し難い。
 
 
 
 
                                                  2013年 4月  仙台市