遺伝的限界

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 夏を迎える前に標本整理がてら、印象深い採集品を拾ってみた。
 
 
このミヤマクワガタは、2007年8月21日に採集した個体。
 
 この日は物凄く暑かったものの林に入るとまずまず涼しく、樹液の出が良い樹を選びながら奥へ進んだ。
 このポイントに有望な樹は二本。何も付いていない一本目から大きな二本目に目を移す。
 その樹の影からもう一本、手首ほどの細いヤナギが伸びており、その左側に張り付く異様なシルエットが目に飛び込んで来た。

水溜まりを飛び越えて近づいて見れば、ミヤマクワガタ

ミヤマクワガタ自体は珍しい物ではないが、しかしこの個体は普通ではない。
頭部の耳状突起が、左右に向かって複眼を隠し、後方には胸部を被うように張り出す異相である。
重たそうな頭を下向きにして口髭を震わせ、細いヤナギの裂け目からわずかに染み出す樹液に吸い付く姿に、しばらく手が出なかった。

これが、自己採集のミヤマクワガタの最大個体である。
東北から関東では、70ミリを越える個体は少なく、仙台辺りで74ミリほどのこのサイズはかなり大型と言えるだろう。

ところが関西以西では、ミヤマの75ミリ超が毎年一定数採集されている。
平地にも濃く分布して全体に大きくなるらしいが、同様に78ミリを越える九州産だと高い山寄りに多いのだともいう。
過去確認された最大サイズは、大阪の妙見山で採集された水沼哲郎氏蔵の怪物個体で78.6mmというもの。
標本になる際に少し縮む事を考えると、生きていた時には8cmほどだっただろう。

東北~関東で小さく、関西~九州で大きい。
これならベルグマンの法則を持ち出すまでもなく、おおよそ暖かい南の方が大きくなりそうだと簡単に片付けたくなる。
それでは逆に、小さめの関東~東北産よりも北の北海道の個体はさらに小さくなるのか。

それが違うのである。北海道のミヤマクワガタは大きい。
しかも胴体が分厚く、前脚を始め各パーツの造作が逞しい。
77ミリを越える個体が知られ、潜在的な最大サイズではこちらもやはり78ミリを越えていそうだ。

生態地位的に優位なカブトムシが分布していなかった事が、北海道のミヤマクワガタが大型化した理由かもしれない。
また日本列島の成立時、地続きになっていた大陸から、複数回に渡り南北別ルートでミヤマクワガタの原種が進入したため、津軽海峡がサイズギャップとなっているとも考えられる。

いずれにしても長く伸びた日本列島の南北両端、暑い所と寒い所でミヤマクワガタは大型化し、中間となる本州東部の個体群は全体に小さいようだ。
その差、アベレージにしておよそ5ミリほど。


こうした絶対的な差を遺伝的なものだ と納得しようと考えつつも、一方でどこか釈然としないものがある…。

これは一種の意地、あるいは祈りにも似た執念なのかも知れない。
スポーツの世界でいう、身体能力において圧倒的に優れた外国人選手に対する挑戦のような。
結局、採集者の端くれとしては山通いを続けるだけなのだし。

誰も見たことが無いような、世界の端っこみたいな個体を地元から自己採集するために、ただ山をさまよい続ける。

たとえ近年のクワガタムシの飼育技術の向上が目覚ましく、大型個体を育てる事は至難と言われたミヤマクワガタにおいてさえ、野外採集ギネスに並ぶような個体の飼育法が確立されるのは時間の問題と言わざるを得ないにもせよ、である。

例えばずっと昔、戦国以降に鉄砲が戦の主力となった後も剣の道を逸れなかった浪人達は、我々と同種の信念を備えていたように思えてならない。
地理的・遺伝的ハンデは限りなく大きいが、やる事はどのみち変わらないのだ。

林道の先、山通いの果て。
 胸に開いた8センチ大の穴を埋める、特大の黒い弾丸を受け留める事こそ我が望みである。

 
 
 
2009年 4月8日