可愛いもの 象
芥川龍之介の 「追憶」 に
小学二・三年生の時、学校で国語か何かの簡単な試験で
「 可愛いと思うもの と 美しいと思うもの を書け 」
という出題に対して
可愛いと思うもの → 象
美しいと思うもの → 雲
と 『 僕の真実 』 を解答したが、先生はこれを気に入らず
「 雲などはどこが美しい? 象も唯大きいばかりじゃないか? 」
として答案に×をつけられた
という内容のエピソードがあった。
百年以上も前の話だけれど、少年龍之介が具えた輝かしい感受性に、個人的祝福を。
仙台の八木山動物公園にも象がいる。
これはアフリカゾウ。
ゾウはただ大きいだけではない という話をしたいのだけど、やはりあまりに大きい。
たまに動物園へ見に行くたびに、大きいなあ と当たり前の事を呟かずにいられない。
周りのお客さんたちも大体、大きいなあ と同じ事を言って、あとは黙って眺めている。
以前はインドゾウもいたが、二頭いたものが三年前、昨年と相次いで亡くなってしまい、現在園にいるゾウは全てアフリカゾウだという。
遠目にも大きなゾウだが、八木山動物園ではさらに接近可能。
このおやつに関しては次の記事で。
ゾウの手脚というものは陸上生物中最大の体重 ( 最大個体で13t とも言われる ) を支えるため、動く大黒柱のように出来上がっており、食べ物をつかんだり頭をかいたりする余裕など無い。
その代わり用いられるのが万能の長い鼻。
そういうものとして昔から知っているからあまり妙だとも思わないけれど、これが自分の顔の真ん中についているささやかな突起と同じものである と改めて考えると、やはり奇妙だ。
動物でも人間でも、そいつが可愛いとか怖いなどといった印象は顔の表情や体全体の仕草などから感じられるものだが、ゾウの巨体はどっしりとして動かず、顔の表情も変化に乏しい。
しかしながら、他の生き物の顔面においてほとんど付属物に過ぎないはずの鼻がムニュムニュとくねって伸びて、目や鼻といった表情の主役よりも確かな意志・独特の表情すら感じさせる…というギャップ。
このちょっと遠回りな愛嬌が、ゾウという動物の魅力を生む材料の一つなのではないかと思う。
※ご提案の対処策、概ねその通りの手順で問題ないと思います。
必要な事があれば、また個別に。