グラフィウム・ソーダ

 
 アオスジアゲハの飛翔モーションと色彩は独特で、
 「命と取替えにでも捕まえたかった」 と芥川龍之介が書いた架空線の火花を思わせる。
 
 ここ仙台はアオスジアゲハの分布北限に近いが、幼虫の食樹であるクスノキが植えてある街の公園などでは、そこそこの数を見る事が出来るようだ。
 東北で見る大半のアゲハチョウの仲間(パピリオ属)とは少し縁遠い種類で、南方で繁栄しているグラフィウム属の一員である。
 
 
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 そうした類縁を知らずに見たとしても、他のアゲハチョウの仲間との毛色の違いを感じる人がいるかもしれない。
 
 羽根に対して胴体が大きく、飛翔はかなり敏速で、秒あたりの羽根の回転数そのものも大きい。
 尖って角ばったシルエットと、空を千切ったような青色は、私の目にもどこか地元のチョウ離れして見える。
 
 
 
 
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 何か見慣れない青いチョウがふわふわと飛んで来て、植え込みに降りていくのを見た事があった。
 駆け寄ってみると、意外にもこれがアオスジアゲハ。
 
 本来は他種と較べても速く力強く飛ぶ本種だが、よく見ると羽化直後で羽根が柔らかい。
 何かに驚きでもして飛びたったもののまだ上手く飛ぶ事が出来ず、風に流されて本種らしくもなく不時着したのだったろう。
 
  羽化してからしばらくのうちに日光の紫外線を受けないとこの色は出ないようで、飼育してただ室内で羽化させるとアオスジアゲハとは呼べないような寝ぼけた翅色で固定されてしまうと聞く。
 この個体は午前中の日差しを浴びて、羽根の紋が鮮やかなピーコックグリーンを発色していた。
 
 
 
 
 
 
 また与太、昔話だが。
 
 私がまだ7歳の頃。
 父方の祖父母と一緒に出掛けた時に、道の脇の木に巻いたヤブガラシか何かの花に、このアオスジアゲハが降りて来た事があったのを覚えている。
 
 初めて見る種類だったが、既に図鑑で見知って憧れていた 「あの」 アオスジアゲハだという事はすぐにわかった。
 生きて動く実物の色彩は鮮烈で、私はこれを何としても捕まえたいと思ったが、チョウが来ている花はやや高い場所で手は届かず、出掛ける途中の事で当然捕虫網は持っていない。
 
 未経験の絶望感に潰されながら未練がましく見上げていると、私の頭上から花に向けて何かの影がサッと伸び、チョウは消えてしまった。
 驚いて振り向くと、背の高い祖母が右手にアオスジアゲハの羽根をつかんで立っている。
 
 
 
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 祖母は注意深く、チョウが逃げないように私の手につかませて、
 「ちょっと眺めたら放しておやりなさい。」 と仰せになったものだった。
 
 普段であれば
 「 こんな良いものを誰がみすみす手放すものか 」 と頑張ったところだろうが、この時の私は目の前の出来事に呆然としており、言われたとおりにそのアオスジアゲハを空に放って、そのまま街に「お出掛け」となった。
 
 祖父は動植物に通じていて私を虫捕りに連れて行ってくれる事もあったが、祖母が虫を触る所はこの後にも先にも見た事は無く、それだけにこの日の彼女の姿は印象に残っている。
 
 子供の頃の記憶は鮮明なものだけれど、やはり驚いたからだろうか、この日の事は他にも仔細に思い出せる。
 この後に百貨店を梯子した事や、まだ改修前だった勾当台公園で青空の下ハトたちに餌をあげた事。
 
 中でもなぜか強烈に覚えているのは、昼食に寄ったレストランで食後に出たクリームソーダである。
 窓際の席で陽を透かしたグラスが湛えていた冷たい輝きと、白いテーブルクロスに細長く映じた半透明の緑色の影を、私は今ここにある物として眼前に再生する事が出来る。
 
 厄介な事には年経るうちに、このクリームソーダとアオスジアゲハのイメージが固く結び付いて離れなくなってしまい、アオスジアゲハを見るとクリームソーダの味を感じてしまう。
 実物のクリームソーダを目の前にすると、かつて祖母が手につかませてくれたアオスジアゲハが羽根を開こうと胸の筋肉を動かす感触がそのまま手に蘇る。
 
 最近ではもう奇妙な感覚を許容して、クリームソーダに羽根が生えているのだ と考える事にしている。
 
 
 
 
 
                           画像のアオスジアゲハは 2011年 6月15日  仙台市青葉区